HOME書籍生命科学 > 人工生命
臨床医学:研修医
臨床医学:一般医
基礎医学
その他
人工生命
名古屋大学教授 有田隆也 著
2002年5月10日発売
A5判/400頁
価格:本体4,980円+税
ISBNコード:4-7578-0102-5
人工生命(Artificial Life)という新しい科学の模索が始まってから,ようやく10年になろうとしている.本書は,この新しい科学の目指している方向性や基本的な概念、定理を初学者にもわかりやすく述べると同時に、人工生命研究に携わる科学者の視点から、生物学、社会学、言語学、ロボティクスなどへの最近の広がりをも視野に入れて人工生命研究の現状を明快に論ずる「人工生命」のスタンダードテキストである

本書の概要

1. 人工生命とは
人工生命の生みの親であるC. Langtonによる表現,「われわれの知っている生命 (Life as we know it)ではなく,存在しうる生命(Life as it could be)」に端的に表れているように,生命現象の普遍的な特質や現象を主に計算機を使った構成研究的アプローチによって解明したいというのが,人工生命研究のそもそもの動機であり,第1の目的である.われわれが知っている生物や生命は,偶然の要素にも左右されたものであり,その1実例である地球上の実在の生命だけを対象とせず,ニューラルネットワークなどのモデルや新しい生理学的な知見を利用しながら,ボトムアップに構成することにより,生命に関わる特質や現象の本質を探ろうとするものである.研究の最大のテーマのひとつが「創発」という現象である。生命の誕生,発生,種の進化、さらには、心の誕生,社会の発生,経済、文化の進化など,さまざまな場面で作用しているとも考えられるが,未だ明確に解明されていない.

 一方,人工生命研究の計算機科学者への浸透により,より普遍的な生物学的知見の獲得という第1の動機から,人工知能や工学システムへの応用というアプローチが広がってきた.創発現象を自動生成のメカニズムとして利用するという目的である.そのような例として,

1)生物進化に着想を得て作成された遺伝的アルゴリズムの最適化問題への適用,

2)プログラムの自動生成への遺伝的手法の応用(遺伝的プログラミング),

3)ロボットの知能への応用(遺伝的ロボティクス)が有力であり,活発に研究されてきた.

また,従来の人工知能研究に対するある種の挫折感からの人工生命的手法への期待感も強い.従来の典型的な人工知能システムでは,ルールを人間が記述して,知的な処理を期待するというものであったが,もし,人工生命的手法によって「創発システム」が実現された場合には,予期せぬ入力に対しても,柔軟な処理が「創発」しうることを期待できるというものである.

最近の研究の展開として見過ごせないのが,さまざまな領域への広がりである.第1の目的においては,生物や生命における特質や現象の解明を目指したが,さまざまな社会システムにおいても,創発現象をはじめとする生命や生物の本質的な特質をそのダイナミズムを生み出している起源であると仮定して,構成的な研究を行い,その成り立ちやダイナミクスをボトムアップな手法で解き明かそうというものである.そのような社会システムとして,言語,経済,社会、文化などの大きな対象が想定可能であり,さまざまな領域で研究が開始されてきた.

本書では,まず,人工生命研究の背景や基本的な理論を述べる(2、3).次に,人工生命を研究する際に役立つ専用の言語や研究環境ツールについて述べる(4).それから,上記3つの流れに分けて(5、8、6と7),それぞれの章で、基本的な概念の説明から、最先端の研究事例の紹介までを行うことにより,人工生命研究の全体像を明らかにしている.


2. 生命現象の特質
そもそも生命とは何であるか?たとえば、生命たる条件として、成長、自己複製、新陳代謝、環境への適応、進化、生物個体を構成する各部分の相互依存などがあげられる。人工生命研究では、必ずしも、それらを同時に対象とするのではなく、各機能にわけて、構成的にそれらの振舞いを再現することにより、理解を進める。ただし、生命の持つべき機能として羅列されたものをすべて備えたシステムが完成した場合、それが誰にとっても生きているというコンセンサスが得られるかというとこれは大きな問題である。それらの条件を前提として、それらを統合するような生命を生命たらしめるアイデンティティがもしかしたらあるのではないか?生命の定義に関しては、人工生命が対象とする最大のテーマであり、即座にこの問題に答えが出るという性格のものではないが、少なくとも、生物学や進化論などの知見を踏まえながら先に述べたような条件をよりどころに研究を進めていくほかに理解することはできないのではないかと人工生命研究者は考えている。上記の各条件の背後にあり、より抽象的なレベルの概念が「創発」である。

「創発」が何たるかは、また重要で本質的な問題であるが、ひとつの定義として、総体を構成する各部分間の相互作用により、上位レベルの特質や振舞いが現出する現象と言われる。あるいは、上位レベルが現出すると同時に逆にその上位レベルが下位レベルを制御して新たな秩序を生む現象をも含める場合もある。このような創発という現象は、原始の海での生命の誕生、心の誕生、個体発生などの生物学的な現象に普遍的に働いているとされ、さらに近年では、生物だけでなく、人間の言語、経済、行動においても働いているということを仮定した研究が盛んになってきた。創発という概念は、人工生命研究以前から考えられてきているが、その概念はその存在を含めて必ずしも明確になっているわけではない。

本章では、まず、生命たる条件をいくつか述べた上で、「創発」という概念について、思想家M. Polanyiの主張を紹介し、さらに、人工生命研究において、扱われている創発現象の例を具体的に示す。さらに、創発を実現するひとつのメカニズムとして、妥当性が確立してきている適応進化の考え方について、R. Dawkinsのブラインドウォッチメーカの概念を使って説明する。


3. 遺伝的アルゴリズムの概要
遺伝的アルゴリズムは、J. H. Hollandが自然界における適応進化から着想を得て定式化したアルゴリズムであり、最適化問題に対する解法として、従来のアルゴリズムに比べて解の探索速度が優っているケースが数多く報告され、さまざまな分野での応用が進んでいる。遺伝的アルゴリズムは、人工生命モデルにおいて、進化過程を実現するフレームワークとして、頻繁に利用されている。ただし、遺伝的アルゴリズムは、集中的な制御を仮定しており、また、世代交代も一斉に同期的に行う。したがって、人工生命のモデル化においては、何らかの形で、アルゴリズムを分散化し、また、非同期化して、生態的、あるいは生物学的に妥当な形にして採用する場合が多い。本章では、基本的な遺伝的アルゴリズムに関して、基本的な概念を示した上で、簡単な例題を用いながら、その定義を示す。さらに、実際的な例題に対する解法例を示して、基本的アルゴリズムの拡張法を説明する。理論的な背景については未だ課題の部分が多いが、基本的な定理に関して簡潔に説明する。


4. 人工生命モデル構成用の言語/環境
人工生命研究では、コンピュータは頻繁に使われるが、実際、その役目は大きい。なぜならば、コンピュータは人間が記述した手順通りの計算をすばやく行わせる機械というよりは、人間のミクロな記述に基づいて、予想もしえなかった複雑性をもち、知的な挙動を産み出す機械として意味付けられるからである。したがって、人工生命研究を行う際は、どのような言語を用いて記述し、どのような環境で実験を行うかが重要になる。人工生命モデルを実現するための計算機環境で、しかも、広範囲の領域のモデルを実験するための汎用的な環境は、まだ数少ないが、ここでは、重要と思われる2つの環境について、具体的な使用方法やサンプルプログラムの実行例も交えながら紹介する。第1は、人工生命研究の提唱者であるC. Langtonらのグループが開発してきた環境Swarmである。Swarmは、複雑適応系全般のためのマルチエージェントに基づくオブジェクト指向型環境を実現する。人工生命モデルを構築し、解析し、表示し、制御するための再利用可能なライブラリを提供する。言語としてはCを主に用いる。第2はResnickらのグループによるStarLOGO言語である。これは、Lisp風の言語であり、Swarmよりは小規模な環境を実現している。環境の設定や操作が容易で、小規模な実験には最適である。


5. 生態/生命モデルの構成
生命現象の普遍的な特質や現象を計算機を使った構成論的アプローチによって解明したいというそもそもの人工生命の研究の動機に適合したメインストリームの研究が本章で述べるアプローチである。そのようなアプローチの中でも評価が確立しているのが、T. RayのTierraモデルである。これは、生きているように見える最小の人工生命システムと考えることができる。自分自身をコピーするだけの計算機プログラムが自己複製を繰り返すうちに、突然変異のために次第に隣接する他のプログラムのコピールーチンを使うもの(寄生生物)やさらにその寄生生物に寄生するもの(重寄生生物)などが誕生し、計算機の中に複雑な生態系を創発していく。

本章では、Tierraモデルの動作に関して、仮想計算機の命令セットの解説や実際のTierraのサンプル実行を行ったデータもまじえて詳述する。Tierraモデルに触発された研究は各地に起こっているが、その中でもC. AdamiのAvidaシステムは重要である。これは、Tierraモデルを2次元に拡張し、セルオートマトンに見られるような平面的な伝播を考慮したもので、しかも、進化、生態のさまざまなモデルの実験にもたえられるような汎用性への配慮も見られる。このシステムはインターネットを通じて配布されており、この使用法についても述べる。

次に、本章では、Tierra流の主に生態システムのモデルではなく、生命そのものの起源に迫る研究として、池上のマシンとテープの共進化モデルをとりあげる。各テープはビットストリングで表わされており、マシンの機能をコード化している。適合したマシンに与えられるとテープは複製される。外部ノイズを考慮した環境では多様性が進化することが示された。そして、自己触媒型ネットワークが出現し、その中でテープはRNA型またはDNA型に分岐していくことも示されている。一方、人工生命研究の中で、最近、実際の生物を対象として、応用までも考慮した研究が始まっている。C. Taylorらのアフリカの蚊の生態を人工生命手法を採用してモデル化した研究である。今なお現地ではマラリアは人間にとって大きな問題である。蚊の群れのコントロールを目標としたこの研究では、人工生命手法に基づいたモデル化が現実の生物の群れに対しても有効であることを示した初めての例であるといえる。本章では最後にこのモデルを紹介する。


6. 社会的モデルの構成
人工生命研究の進展の中で、社会を構成する個人や個人間の振舞いに関して簡単なルールで記述し、遺伝的アルゴリズムや進化的ゲーム理論を用いた計算機実験によりその人工的な社会に創発する現象を観察することにより、社会構造の起源や特質を解明しようとするアプローチが起こってきた。そのようなアプローチのもっとも基本的なモデルでは、個体間の関係として囚人のジレンマを用いる場合が少なくない。そこで、本章では、まず、囚人のジレンマゲームを定義した後、R. Axelrodによる囚人のジレンマコンテストの結果をしっぺ返し戦略の説明を交えて紹介する。次に、最近、考え出されてきた新しい戦略、たとえばPavlovについて紹介する。それを踏まえて、遺伝的アルゴリズムを用い囚人のジレンマに基いた人工生命研究において、利己的な集団の中に協調的な戦略が創発する現象について論ずる。さらに、囚人のジレンマゲームを2次元化したり、プレーヤー数を増やして、より妥当な社会的モデルになるとうに拡張し、そこにおいて複雑性や協調関係が創発するようないくつかのモデルを紹介する。そして、このような「人工社会」アプローチの今後を展望する。


7. コミュニケーション/言語モデルの構成
言語がどのように成立し進化してきたかというテーマに関しては,古くから研究されてきたが,依然として未解明な点が極めて多い.言語学や認知科学などの領域での言語の起源,進化に関する研究の重要な前提となっているのが,Chomskyによる普遍文法や生得的な言語獲得装置の概念である.この仮説に対する生物学や進化論の立場から解釈として,脳の言語機能はランダムな突然変異と自然選択の下で段階を経て適応的に進化してきたという見方がありうる.近年,人工生命手法に基づく言語やコミュニケーションの起源や進化に関する研究が開始された。このアプローチでは,言語それ自身が創発システムであるという仮説に基づき、脳の言語機能をターゲットとしてエージェントを構成し,多数の個体間の相互作用に基づく自己組織性や進化ダイナミクスから生じる創発性に着目し,言語に関わる普遍的現象のメカニズムや原理を探求するものである.

本章では、動物のコミュニケーションに関する最近の研究の進展を取り上げた後、人間の言語の適応進化の考え方に関するN.Chomsky、S.Gould、S.Pinkerらの論争を取り上げる。そして、研究の動向について概観し、人工生命研究の事例として、MacLennanらのモデル、J. Steelsのモデル、橋本らのモデル、有田らのモデルを紹介する。


8. エンジニアリングへの応用
応用を目指した研究はさまざまな分野で広がってきている。本章では、計算機プログラムを自動的に生成する手法である遺伝的プログラミングと、ロボットシステムにおいて進化論的な手法を採用する進化的ロボティクスについて述べる。J. Kozaが主に提唱している手法である遺伝的プログラミングは、遺伝的アルゴリズムでは1次元表現であった遺伝子表現を木構造とし、それをプログラムを意味すると解釈して世代交代を繰り返すことにより、期待する処理を行うプログラムを自動的に生成させようとするものである。プログラムの自動生成という工学的な側面のみならず、人工生命研究における適応メカニズムのひとつとしての位置づけも考えられ意義深い。

本章では、さまざまな研究場面での利用を念頭に置き、簡単なサンプルを利用して、具体的な技術の例示を心がける。ロボットシステムへの応用に関しては、さまざまな応用のしかたがありうるが、本章では、特に創発性を意識している研究、創発性の度合いの高いと考えられる研究に関して述べる。そのような観点から見ると、一体一体のロボットの知能はさして高くないが、群としての行動全体として、知的な行動が実現される自律分散型のロボット群システムにおける創発の研究は興味深く今後さらに期待のもてるアプローチであると考えられる。このアプローチは、ロボティクスだけでなく、分散人工知能(マルチエージェント)とも、関連の深い分野である。L. Steelsらの研究などを題材として、その可能性を探る。


9. まとめ
人工生命はまだ生まれたばかりの実に新しい研究領域である。しかし、世界各地で、また、多くの学問領域で注目を集め始めてきた。その理由のひとつは、従来のような解析的な手法、つまり、問題をミクロな部分に分けていって理解することにより全体を理解しようとする手法のある意味での行き詰まりにあると考えられる。そうではなく、さまざまな分野における新しい知見に基づいたモデルを構築し、最近の計算機パワーを利用して構成的に創発させることによって、そこに働いている現象の本質を理解するという構成的な手法が新しい意味を持ち始めているからであると考えられる。
本書で述べたような各分野での広がりは、このような手法がさまざまな学問領域で適用が可能だということを示しているというよりは、むしろ、そのような領域は、より抽象的なレベルでは、もともと同じものであったが、たまたま目に見える部分の違いから分けられていたにすぎない同一の普遍的なテーマであるということを物語っていると考えられる。


付 録
1) Tierra資料
2) StarLOGO資料
3) SWARM資料
4) Avida資料