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量的形質の遺伝解析
東京大学大学院 教授 鵜飼保雄 著
2002年5月25日発売
A5判/392頁
価格:本体6,900円+税
ISBNコード:4-7578-0400-8
生物が示す遺伝的なちがいを形質という. 形質にはエンドウの花色の赤対白やイネのモチ性対ウルチ性などのように識別の明らかな質的形質と、数、重さ、長さ、時間など計量的に測られ連続的な変異を示す量的形質とがある.量的形質には、イネでいえば、穂数(数)、収量(重さ)、草丈(長さ)、開花期(時間)などがあげらる.ニワトリの産卵数、卵重、ウシの乳量、ブタの肥育による体重増加量も量的形質である.ヒトでは、身長、体重、胸囲などが量的形質といえる.

生物にとって重要な形質の多くは量的形質であるが、その遺伝的解析は決して容易ではない.それは関与する遺伝子座が多いことと、その表現が環境条件によってつねに変化するためである.赤色対白色のような花色の違いであれば、関与する遺伝子座はひとつだけで、その遺伝は単純である.よく知られているように、赤色品種と白色品種を交配した2代目F2ではメンデルの法則に従って赤色と白色が3:1に分離する.気温や土の水分などの環境が変わっても、赤色が白色になることはない.しかし量的形質たとえば開花期については、支配する遺伝子座が多く、早生と晩生を交配したF2では、さまざまな開花期の個体が分離して、その差は連続的で花色のようにいくつかのはっきりしたクラスに分類することはできない.また開花期は、同じ遺伝子型でも、気温が高くなると早くなったり、土壌の栄養分が多いと遅くなったりとたやすく変化する.

このような量的形質では、質的形質のような遺伝解析がふつうはできない.その解析には統計的手法が必要とされる.つまり統計遺伝学的なモデルの下に量的形質の値が記述され、それに基づいて遺伝効果が推定される. ただし推定できる遺伝効果はゲノム全体についての総和ないし二乗和だけで、 遺伝子別に遺伝効果を求める手段がなかった.また量的形質に関与する遺伝子が実際にいくつあり、染色体のどこに位置しているかも推測できなかった.

しかし1980年代後半になって量的形質の解析についての研究事情が一変した. 分子生物学技術の進歩により、同じ生物種に属する個体間にDNAの塩基構成の違い、すなわちDNA多型が存在することがわかり、DNA多型をマ−カ−として利用することにより、ゲノム全体にわたっての詳細な連鎖地図がつくれるようになった.その連鎖地図を利用することにより、量的遺伝子座(quantitative trait locus、QTL) のそれぞれについて、 染色体上の位置と遺伝効果を高い精度で推定できるようになった.この画期的な方法により質的形質と同じような遺伝解析が量的形質についても可能となり、いわば量的形質と質的形質の間に遺伝解析上の橋渡しがなされた.また量的形質についての選抜も、従来は表現型値だけに基づいて行われていたものが、マ−カ−を利用すればQTLのおのおのについて選抜できるようになった.また選抜効果についても、これまでのように選抜による表現型値の変化 だけでなく、選抜された各個体の遺伝子型に基づいてずっと正確に評価できるようになった.それにより選抜の効果と再現性が著しく高まることとなった.

本書の特徴
本書は、生物のもつ量的形質の解析法について、基本的方法から最近のQTL解析法まで、統一したモデルの下で要説したものである.本書の特徴はつぎのとおりである.

(1)一口に量的形質といっても、対象とする生物によって解析方法や遺伝モデルが同じではない.とくに対象生物が植物と動物とでは異なる.これまで出版された国内外の統計遺伝学関連書は多くの場合に動物を対象としているが、本書では植物、それも人類の生活に関わりの深い作物に多い自殖性植物を主な対象としている.しかし、その記述内容は、他の生物を対象とする場合でも種々の点で役立つ.

(2) 単に量的形質の解析法を提示するだけでなく、解析結果の解釈や応用例について詳しくのべられている.

(3) 本書で扱う数理的解説は、できるだけ代数学および統計数理学の基本的なものに限定した.必要な場合には、基本的な数理についても詳しい説明が付けられている.

(4)量的形質の解析では基本となる遺伝モデルがきちんと定義されていないことが多い. 動物と植物間での遺伝効果や遺伝モデルの違い、集団遺伝学における遺伝効果の定義の違いなどが、初めて学ぶ者に大きな混乱を与えていると考えられる.本書ではその点についての 詳しい考察を行い、理解の助けとした.

(5) 近代統計学の開祖Fisherに始まる統計遺伝学の手法から、最近のDNAマ−カ−利用による量的遺伝子座 QTL 解析に至るまでの種々の解析法をひとつの統一したモデルで記述するように努められている.

(6)本書は著者が開発したコンピュ−タ・プログラム(DIAL, GEST, MAPL)と対応している.これらのプログラムは学業および研究用には無料で公開されており、読者はこれらを利用することにより、本書に提示された解析法について容易に試算することができる.またこれらのプログラムのユ−ザにとっては、本書はよい解説書となる.

本書の内容は、主として東京大学の学部において行った著者の講義「計量遺伝学」や非常勤講師として行ったいくつかの講義録、さらに研究室でのゼミで行った説明資料を骨格としている. 講義の中で受けた質問やゼミでの討議はその肉付けに大きく役立っている.また さまざまな研究機関に所属するプログラム・ユ−ザから寄せられた質問に触発されて新たに考究した問題も少なくない.本書が量的形質の遺伝解析や育種研究に関連する大学の学部学生、院生や各種研究機関の研究者の学業や研究に役立てられることを本書の著者は切に希望している.

類書との比較

(1)量的形質の解析法は、我が国では集団遺伝学、一般遺伝学、育種学などの関連書の中の1章としてあつかわれるにすぎない場合が多く、ページ数の制限から記述が要点のみに限られており、初学者には理解しがたい点が多いと考えられる.本書では量的形質の遺伝解析に必要な諸手法を総合的にまたできるだけ丁寧な説明の下に提示している.

(2) 量的形質を主題とする書の多くは動物集団を対象としている. 植物では 集団サイズを大きくとれること、自殖により完全なホモ接合体の集団を作成することが可能なこと、遺伝子頻度および遺伝子型頻度を既知とした集団を養成できることなど、動物集団と事情が大きく異なるので、 植物における量的形質の解析を主題とする書が必要とされる.

(3)とくに作物の改良において、選抜対象となる形質の多くは量的形質であることを考慮し、本書では単に遺伝パラメ−タの推定方法だけでなく、推定結果の解釈および応用法についても丁寧な説明を行った.また量的形質の選抜方法について、1章を設けて詳述した.

(4) 植物における量的形質の解析を扱った単行本の和書としては、本書が最初である.翻訳書としては K.Mather著、木原均・末本雛子・小島健一訳の「統計遺伝学」( 岩波書店,1959年刊) がある.この書は英国の碩学Matherによる名著であり、植物遺伝学を学ぶ人々に広く利用されてきたが、すでに刊行後40年を経ており、その後における研究の進展、とくにDNAマ−カ−利用のQTL解析の登場を考えれば、この書だけで量的形質の解析を学ぶのは現在では十分とはいえない.

本書の構成

1. 遺伝モデルと遺伝効果.
量的形質の解析では、量的形質の表現型を記述する遺伝モデルをどのように構築するかが最も重要である.自殖性植物ではホモ接合体である2品種間の交配から生じる種々の世代を対象とすることが基本である.遺伝モデルは近代統計学の開祖Fisherに始まる. 自殖性植物ではFisher・Matherによる 遺伝モデルが最も広く使われている.量的形質の表現型は遺伝子型によって決まる遺伝子型値と環境の影響である環境効果の和として示される.遺伝子型値はさらに種々の遺伝効果、すなわち相加効果、優性効果、エピスタシスの和として示される.相加効果は遺伝子の主効果、優性効果は同じ遺伝子座の対立遺伝子間の交互作用、エピスタシスは異なる遺伝子座の遺伝子間の交互作用である.本章では相加効果、優性効果、エピスタシスの定義を詳しく述べ、また植物における遺伝モデルと動物遺伝学や集団遺伝学における遺伝モデルとの違いを説明する.また統計学モデルに最も即応した一般化遺伝モデルが提示される.


2. 遺伝分離と世代平均
本章ではまず2品種間交配に由来する種々の世代(自殖世代F2,F3,戻し交配BCなど)においてどのような遺伝的分離が期待されるか、遺伝子型頻度がどのようになるかが示される.つぎに 遺伝子型頻度と遺伝モデルに基づいてそれらの世代における量的形質の表現型値の集団全体にわたる平均(世代平均)がどのように表されるかを詳しく例をあげて示す.各種の世代で得られる世代平均の観察値から遺伝効果を求める方法と、その際の注意点を示す.また遺伝子型頻度を関数として世代平均がひとつの一般式で表されることを示し、それにもとづき世代平均間の関係を論じる.世代平均間の関係は、近親交配に伴なう近交弱勢の変化や連続戻し交配における世代平均の予測に利用できる.


3. 世代の分散
2品種間交配に由来する種々の世代における量的形質の表現型値の分散および世代間における共分散が遺伝効果の分散(相加分散、優性分散など)の関数としてどのように表現されるかを世代別に詳述する.また分散・共分散の観察値から遺伝分散を推定する方法を解説する.さらに一般化遺伝モデルを用いれば、2親交配に由来する世代における任意の分散・共分散は遺伝子型頻度の関数として表すことが可能であることを示し、それを用いて遺伝分散を推定する場合にはどのような世代を養成すべきかを論議する.


4. ヘテロシスと組合せ能力
両親の表現型にくらべてその雑種がより優れた表現型値を示す現象をヘテロシスという.ヘテロシス程度の推定は他殖性植物であるトウモロコシや多くの牧草において高い収量を確保するためにとくに重要であるが、自殖性植物のイネやコムギにおいても一代雑種育種を行う場合には欠かすことができない.雑種のヘテロシス程度は、両親のそれぞれがもつ能力(一般組合せ能力)と交配組合せ固有の能力(特定組合せ能力)に分けて考えることができる.本章ではヘテロシスの生物学的な意味を説明し、多数の品種を用いて一般組合せ能力と特定組合せ能力を推定する方法を示す.


5. 遺伝率
量的形質の表現型値は遺伝効果と環境効果に分けられるが、ある世代について表現型値の分散のうち遺伝効果による分散(遺伝分散)の占める割合を広義の遺伝率という.また表現型値の分散のうち、相加分散および相加効果だけを含むエピスタシス(相加x相加エピスタシスなど)分散が占める割合を狭義の遺伝率という.本章では遺伝率を推定する種々の方法を説明する.遺伝率は選抜における選抜効果を予測するうえで重要である.また広義の遺伝率は第10章のQTL解析においてQTLの検出効率や遺伝効果の推定精度と密接な関係をもつ.


6. 遺伝相関
遺伝率と同様に、異なる2種の量的形質についての表現型値間の相関は、遺伝効果に基づく遺伝相関と環境変動による環境相関にわけて考えることができる.遺伝相関が高い2つの形質は選抜において相伴って変化しやすいので、たがいに独立な方向に選抜することが難しい.本章では表現型相関から遺伝相加と環境相関を推定する方法を示す.


7. ダイアレル分析
多数の品種間で総当たり的に交配を行うことをダイアレル交配といい、 各交配組合せ後代における量的形質の平均値の解析から遺伝分散など種々の遺伝パラメ−タを推定する方法をダイアレル分析という.2親交配の後代世代における遺伝解析では、結果が供試した両親の遺伝子型に依存するため、結論を他の品種にそのまま適用しがたい.ダイアレル分析では3品種以上について遺伝解析を総合的に行うことができる利点がある.また交配後直ちにF1世代で有用な遺伝情報が得られる.本章ではダイアレル分析における遺伝パラメ−タの推定方法と応用例を述べる.


8. 連鎖ブロック
交配後の分離集団における遺伝的分離を考察する場合に、QTLのようにゲノム全体にわたる多数の遺伝子座を同時に対象としてその伝達様式を調べようとするときには、遺伝子座間の連鎖が無視できず、通常の遺伝子記号だけによる記述では不可能となる.両親のもつ染色体部分が減数分裂期の乗換えによって入れ換わらずに世代から世代へとそのまま伝達されるとき、それを連鎖ブロックという.連鎖ブロックの長さの平均や分散を調べることは、ゲノム全体における遺伝的構造の変遷や交配育種における選抜効率を論じるうえで重要となる.現在ではDNAマ−カ−利用によるグラフ遺伝子型に基づいて、連鎖ブロックについて実験的に確かめることができる.本章ではF1および戻し交配を中心に、 Hansonによる理論的考察および著者によるシミュレ−ション結果に基づいて説明する.


9. 組換え価と連鎖地図
QTL解析にはDNAマ−カ−利用の連鎖地図が作成されていることが必須である.減数分裂期における染色体の乗換えに伴なう遺伝子の組換えを利用して連鎖地図を作成するための方法を要約して述べる.組換え価、地図距離、地図関数などの定義を述べ、マ−カ−座の分離比の検定、マ−カ−座間の連鎖検定、組換え価の推定、マ−カ−の群分け、連鎖群内マ−カ−の順序づけ、マ−カ−間地図距離の推定など、連鎖地図作成に必要な一連の方法についてF2を例として記す.


10. DNAマ−カ−利用のQTL解析
DNAマ−カ−に基づく連鎖地図が作成してあれば、それを利用して 1対のマ−カ−に挟まれた区間に存在するQTL の染色体上位置と遺伝効果を推定することができる. この方法をQTL解析という.QTL解析は解析対象とする生物種の増殖様式(自殖性と他殖性)、ヘテロ接合体の有無、マ−カ−の分離様式(共優性型分離と優性型分離)など、種々の要因によって方法が異なるが、本書では標準的なF2の共優性マ−カ−の場合を例として、最もよく使われるEMアルゴリズム併用の区間マッピング法による解析について要点を記す.併せてQTL解析の効率および解析における注意点も提示する.


11. 遺伝子型x環境交互作用
量的形質の表現型値は、生物が栽培される場(フィ−ルドなど)における微気象や土壌条件などのミクロな環境によって変化するが、それとは別に栽培年次や地域の違いなどマクロな環境要因によっても変化する.ミクロな環境変動に対する反応は遺伝子型とは独立である場合が多いが、 マクロな環境への反応は、遺伝子型のもつ特性として捉えることができる.マクロ環境の変化に伴ない、品種(遺伝子型)間における表現型値の相対的値や順位が変動する場合も少なくない.これを遺伝子型x環境交互作用またはGE交互作用とよぶ. 従来は表現型レベルで解析された交互作用も、QTL解析が可能となってからは各QTLの遺伝効果のマクロ環境による変化として解析できるようになった.これはQE交互作用とよばれる.本章ではGE交互作用およびQE交互作用について解析するための種々の統計遺伝学的方法を概説する.


12. 量的形質の選抜
量的形質の改良のためには、各QTLのもつ遺伝効果を推定するだけでなく、その効率的な選抜方法を考えなければならない.従来の選抜は表現型値だけに基づいて行われてきた.その場合には遺伝率、とくに広義の遺伝率が選抜効果の予測上重要である.表現型値だけに基づく選抜では、選抜による集団全体の表現型値の変化は予測できても、選抜された個体がそれぞれどのような遺伝子型をもつか、あるいはどのようなQTLについて選抜したら効率が高くなるかを推測できなかった.したがって 選抜方式が同じでも、同じ選抜結果を期待できず、また選抜結果を遺伝的に評価することもできなかった.現在では連鎖地図とそれを利用したQTL解析結果があれば、QTLに近接するマ−カ−を選抜することにより、QTLを間接的に選抜することが可能となった.これをマ−カ−利用選抜(marker assisted selection,MAS)という.これによりはじめて量的形質の選抜が高効率で再現性のあるものとなった.本章では表現型だけに基づく選抜とマ−カ−利用選抜の両者にについて説明する.